2021-11-09公開

ファミスタの父はオムライスが大好き。好きなものを徹底的に探究する楽しさを教えてもらった

ファミスタの父はオムライスが大好き。好きなものを徹底的に探究する楽しさを教えてもらった

1986年に発売されたファミコン用ソフト、初代「ファミスタ」を開発した岸本好弘さん。「ファミスタの父」「きっしい」の愛称で親しまれる岸本さんのもう一つの顔が、大のオムライス好きです。あくことなき食への探究心を伺いました。

ファミスタの父はオムライスが大好き。良いものを自分の足で見つける楽しさを教えてもらった

1986年に発売されたファミコン用ゲームソフト、初代「ファミスタ(プロ野球ファミリースタジアム)」を開発した、ゲームクリエイターの岸本好弘さん。

「ファミスタの父」「きっしい」の愛称でも親しまれる岸本さんのもう一つの顔が、大の「オムライス好き」です。25年前にホームページ「きっしいのオムライス大好き!?」を立ち上げてから、これまでに全国900店、1600皿のオムライスを食べ歩いてきました。

ファミスタとオムライス。まるで別もののようでいて、「どちらも探究する楽しさは同じ」ときっしいさん。いったいどういうことなのでしょうか?

ファミスタ世代であり、オムライス好きでもある筆者が、きっしいさんを直撃。その、あくことなき食への探究心について、さらにはファミスタ開発時の秘話まで、たっぷりとお話を伺いました。

取材・文:榎並紀行(やじろべえ)

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<目次>

・ファミスタ開発とオムライス日記には共通点があった

・食べれば食べるほどオムライスの奥深さを知る

・きっしいさんのおすすめオムライスは?

・オムライス職人を尊敬しているから「評論」はしない

・野望はギネス認定、オムライスの国際化

ファミスタ開発とオムライス日記には共通点があった

きっしいさん。インタビューはリモートで実施しましたきっしいさん。右下に写っているのは自身をモデルとしたマスコットキャラクター「きっしーぐま」
※インタビューはリモートで実施しました※

お話を伺った人:きっしい(岸本好弘)さん
1959年生まれ。ゲームクリエイター。「ファミスタ(プロ野球ファミリースタジアム)」シリーズを開発した「ファミスタの父」として知られる。趣味で食べ歩いたオムライスは25年間で900店、1600食。そのすべてをホームページに記録し、オムライス研究所 所長としてオムライス普及活動に励んでいる。

・きっしいのオムライス大好き!?:https://www.omurice.com/
・Instagram:@kissyomurice

── 子どものころに夢中になっていたファミスタの生みの親がオムライスマニアだと知って驚きました。そもそも、なぜオムライスにハマったのでしょうか?

きっしいさん(以下、きっしい):子どもの頃から普通に好きな食べ物でしたけど、20代の頃は今ほどハマっていませんでしたね。

本格的に食べ歩くようになったのは、1996年頃だったように思います。きっかけはインターネットでした。

当時勤めていたナムコ(※現在のバンダイナムコエンターテインメント)にインターネットが導入され、社員向けの勉強会で個人のホームページを作ることになったんです。

その流れで、夏のボーナスで自分のパソコンを買い、オムライスのホームページを作りました。ただ、実は一番好きだったのはラーメンだったんですよ。

── では、なぜオムライスにしたんでしょうか?

きっしい:ラーメンはほかにやっている人がいたんですよ。

特に「ラーメンデータバンク」会長の大崎さんのホームページがすごくよくできていて、ラーメン好きが集まって活発な情報交換をしていました。なんて画期的なメディアなんだと思いましたね。

それで自分もラーメン以外で作成したくなり、頭に浮かんだのがオムライス。子どもの頃から好きでしたし、ほかにオムライスのホームページも見当たらなかったので、これで情報発信をしていこうと。

それから、気付けばもう25年続いていますね

── そこまで長く、一つの物を掘り下げられる情熱がすごいです。その探究心こそ、ファミスタのような名作を生み出す原動力だったのでしょうか?

きっしい:ファミスタもオムライスも探究心が欠かせません。その点では、通じる部分があるかもしれません。

特に、初代ファミスタを作った1986年は地道に情報を集めるしかなかったんです。現在のように、インターネットなどでプロ野球選手のデータが簡単に手に入る時代ではありませんからね。

当時はテレビの全国中継も巨人戦だけだし、パ・リーグの選手は球場に足を運んでチェックするしかありませんでした。だから、ロッテの本拠地だった川崎球場に何度も足を運びましたよ。

当時の川崎球場
当時の川崎球場

川崎球場はサイズも小さくて、ファウルゾーンや観客席もすごく狭い。でも、そのぶん選手が近く見えるんです。それが楽しくて。一番多い時で、年間40試合くらいは球場で観戦したと思います。

それでファミスタでも、テレビ中継ではなく「球場で見る野球の面白さ」を体感してもらいたいと思い、バックネット裏の一番上の席から観戦しているような視点の画面にしたんですよ。

初代ファミスタのプレイ画面初代ファミスタのプレイ画面(c)BANDAI NAMCO Entertainment Inc.

── ちなみに、球場では選手のどんなところをチェックしていましたか?

きっしい:試合だけだと控え選手のことがわからないので、必ず試合前の練習から見るようにしていました。

ノックを見て外野手の肩の強さをチェックしたり、走塁や盗塁を見て足の速さを決めたりしていましたね。ピッチャーの変化球の曲がり具合も細かくメモしました。

インターネットがない時代は、そうやってデータを集めるしかなかったんですよ。

ファミスタときっしいさんファミスタときっしいさん(c)BANDAI NAMCO Entertainment Inc.

── まるでスコアラーですね。そのデータ、ほかの球団が欲しがるくらい貴重なものだったんじゃないでしょうか?

きっしい:それはわかりませんが、自分の足で稼いだ生の情報はやっぱり貴重だったと思います。

オムライスも今ならレビューサイトで口コミ情報をチェックできるけど、そこでの評価は全く気にせず、自分の舌で必ず確かめて判断するようにしています。

全然注目されていない選手の隠れた才能を球場で発見するのと同じで、名もなき小さなお店で最高のオムライスに出会う喜びがあるんです。

食べれば食べるほどオムライスの奥深さを知る

── 人生で最初のオムライス体験は覚えていますか?

きっしい:小学校低学年の頃、祖父母に連れて行ってもらった明石デパート(兵庫県明石市)の大食堂で食べたのが最初だったと思います。当時のデパートは子どもの憧れでね。屋上に遊園地があって、おもちゃ売り場があって、大食堂があって……夢が詰まっていました。

そんなデパートの大食堂で初めて見た、黄色と赤色で構成されたオムライスがあまりにも衝撃的だったんですよ。

── 味というよりも、見た目の華やかさに心を奪われたと。

きっしい:はい。時代もちょうど白黒テレビがカラーに変わるタイミングでした。

鮮やかな色合いのオムライスは、それと同じような衝撃と感動がありましたね。

色だけでなく、あの楕円形の独特の形をした食べ物というのもあまり見たことがなくて。もちろん味もおいしかったんですけど、最初は見た目のインパクトに驚きました。

── 食べ歩きを始めた当初は、どんなふうにお店を探していましたか?

きっしい:まずは情報誌やテレビで評判のいいお店を片っ端から訪ねました。『洋食ベスト100』といった記事の、オムライスがある店を100位から1位まで順番に食べに行ったりしてね。

そのうち、オムライスのホームページのBBS(電子掲示板)に情報を寄せてくれる人も増えていきました。「きっしいさん、ここもおすすめですよ」って。メディアで紹介されていない、知られざる名店との出会いもかなりありました。

── 中でも、特に衝撃を受けたお店は?

きっしい東銀座の「YOU」という喫茶店のオムライスです。今でこそ、超がつくほどの有名店ですが、当時は全くメディアに出ていませんでした。

東銀座「YOU」のオムライス東銀座「YOU」のオムライス

東銀座で働いている人から「会社の近所の喫茶店が最近オムライスを始めて、とてもおいしいです」とおすすめされ、食べてみたら本当にすごかった。

今では日本屈指のオムライスの名店になっていますが、最初に発見して広めたのは僕たちだったと思いますよ。

── そうした情報交換だけでなく、リアルな交流もありましたか? 例えばホームページを通じて出会った人と一緒に食べ歩くとか。

きっしい:ホームページを通じて「オム友」がたくさんできたので、よく「オム会」をしています。コロナ前は2カ月に1度くらいオムライス好きが集まって、いろいろなお店に食べに行きました。

オム会のメンバーは、学生半分、社会人半分くらいですね。年齢も職業もバラバラの人たちが、オムライス好きという一点のみでつながっているのが面白いです。

オム会で初めて会って仲良くなり、一緒にオムライスを食べに行く人たちもいるみたいです。最近はそういうつながりを作るのも、僕の役割なのかなと思うようになってきました。

── どれくらいのペースでオムライスを食べているんでしょうか?

きっしい:当初は年間50店くらいでしたが、だんだんと増えてきて、今は年間100店を超えますね。これまでの累計だと900店以上になります。

ただ、数多く食べるのが目的ではなく、オムライスをより深く探究することが目的です

── すごい情熱。オムライスとはそこまで奥深いものなのでしょうか?

きっしい:オムライス自体もですが、オムライスを通じて日本の食文化を探究できるのも魅力です。

例えば、オムライスに欠かせないトマトケチャップの歴史って、すごく面白いんですよ。

明治時代にさまざまな西洋野菜が入ってきたんですけど、トマトだけが不人気だったらしいんです。当時の日本人はトマトが気持ち悪くて食べられなかったみたいで、大量に売れ残ってしまった。それで、もったいないからと作ったのがトマトケチャップです。

そういう、オムライスにまつわる一つひとつの由来をひもといていくのも楽しいですね。

── それにしても25年……四半世紀もよく続きましたね。

きっしい:やっぱり、「世の中にはもっともっとおいしいオムライスがあるんじゃないか」と信じているからやめられないんだと思います。だから「これぞ日本一!」と思えるものに出会えた時が終了なのかもしれない。

「もう、これ以上のものは出てこないかな。オムライス道もここで終わりかな?」と思うことが、過去に何度かはありましたよ。

でも、そのたびにまたさらに上手のオムライスが出てきて、奥の深さを思い知ります。その繰り返しですね。

きっしいさんのおすすめオムライスは?

── ちなみに、現時点で最高のオムライスを挙げるとしたら?

きっしい:最高のオムライスは決められませんね。

食べ歩いてわかったのですが、一口に「オムライス」と言っても、卵もライスもいろいろ違いがあって面白いんです。

その中でも良かったのは、甲府の「スコット」というお店ですね。現時点ではケチャップライスに関しては日本一だと思います。

甲府「スコット」のオムライス甲府「スコット」のオムライス

それまでオムライスに関しては東京がトップレベルだと思っていましたが、まさか山梨にこんなオムライスが隠れていたとは……。

こういう出会いがあると、探究心に火がつきますね。

── スコットのオムライスは、具体的にどこがすごいのでしょうか?

スタンダードなケチャップライスで、一口食べると口の中にケチャップの香りがほわーっと広がるんです。これが、ほかとは明らかに違う。シェフに聞いてみたんですけど、理由がよくわからない(笑)。

正直、謎なんですけど、これまでに3回食べて3回同じ体験をしているので、偶然ではないと思います。話していたら、また行きたくなってきたなぁ。

── 「スコット」以外にも、おすすめのお店を教えてください。

きっしい:まずは銀座のカフェレストラン「A Votre Sante Endo(ア・ヴォートル・サンテ・エンドー)」ですね。もう100回以上は行っていると思います。

銀座「A Votre Sante Endo」のこだわりのオムライス銀座「A Votre Sante Endo」のこだわりのオムライス

ここのオムライスは、僕が好きな昔ながらの正統派タイプ。卵を4つ使った分厚い卵焼きでケチャップライスをくるんでいます。

ケチャップライスはやわらかいリゾット風で、ごはん粒一つひとつまでケチャップの味が感じられる。

前日からごはんと炒める具材を先に仕込んでいるから、味が染み込んでいるんです。マッシュルームなど素材の味もしっかり感じられますね。

それから、目黒の「めぐろ三ツ星食堂」

目黒「めぐろ三ツ星食堂」のお正油オムライス目黒「めぐろ三ツ星食堂」のお正油オムライス

ここは、スタンダードなケチャップライスではなくて、「お正油オムライス」(※醤油味のごはん、お店でこのように表記している)なんですよ。

ナンプラーで炒めた白いごはんと、パプリカのシャキシャキ感が絶妙で、90回以上通っていますが全く飽きません

後は、2011年に閉店してしまいましたが、四ツ谷にあった「エリーゼ」

四ツ谷「エリーゼ」(現在は閉店)のオムライス四ツ谷「エリーゼ」(現在は閉店)のオムライス

素早い鍋振りで余分な水分を飛ばし、カラっとした仕上がりのケチャップライスは唯一無二でした。卵も1mmくらいの薄焼きで、僕が一番好きなタイプ。

あの味はほかで食べられないので、閉店してしまった時は本当にショックでした。忘れられない思い出の味ですね。

── 思い出の味といえば、きっしいさんが子どもの頃に食べた「デパートの食堂のオムライス」も、最近ではなかなか食べられませんよね?

きっしい:そうなんです。もう、地方に行ってもほとんど残っていないんですよ。

残っているのは、例えば、岩手県花巻市の「マルカンビル大食堂」。2016年に惜しまれつつ閉店したマルカン百貨店の6階にあった大食堂が、2017年に復活したんです。

岩手県花巻市の「マルカンビル大食堂」のオムライス岩手県花巻市の「マルカンビル大食堂」のオムライス

昔ながらのデパートのレストランの雰囲気と味が残っていて、オムライスは土・日曜、祝日のお昼限定で食べられます。箸で食べる10段巻きのソフトクリームも有名ですね。

鹿児島市にある「山形屋食堂」も雰囲気は抜群に良かったです。2015年にリニューアルされ、昭和初期のルネサンス調を復元した建物と内装が懐かしかった。

オムライスはしっとりケチャップライスのタイプで、今どき珍しくパセリが乗っていました。

── さすが、どんどんお店の名前が出てきますね。

オムライス職人を尊敬しているから「評論」はしない

── ちなみに、これほどまでオムライス通のきっしいさんですが、いわゆる「オムライス評論家」は名乗っていませんよね。何か理由はありますか?

きっしい:「オムライス評論家」って言われるのが嫌なんです。僕は評論をするつもりなんて全くありません

なぜなら、オムライスを作るシェフを心からリスペクトしているから。特に、本当にオムライスを極めたシェフになると、もはや職人の域です。

例えば、神戸に「JEANA(ジーナ)」というカフェがあって、そこのシェフはオムライスを作るのが好きでお店を始めたような人。それだけに、ことオムライスにかけてはストイックなんです。

神戸「JEANA」の小エビとアボカドのジェノベーゼクリームオムライス神戸「JEANA」の小エビとアボカドのジェノベーゼクリームオムライス

いわく、本当に会心の出来というのは10回に1回くらいだそうです。

もちろん、お客さんからしたらほとんど違いがわからないくらい毎回おいしいんですけど、それくらい厳しい姿勢でオムライスに向き合っている。

── 確かに、そこまで真剣に向き合っている人に対して、おいそれと評論はできないかも……。

きっしい:ただでさえオムライスって手間のかかる料理なんです。

ごはんを炒める用、卵を焼く用とフライパンを2つ使わないといけないし、ひとりのシェフが卵を巻くところまでやらないといけないから分業もできない。

ランチタイムで回転数を上げないといけない時なんて、けっこう大変だと思いますよ。だから、採算面で考えたら決して割のいいメニューじゃない。

それでもおいしいオムライスにこだわっているお店って、シェフ自身がオムライス好きであることが多いんです。そういうお店は、やっぱり応援したくなりますよね。

野望はギネス認定、オムライスの国際化

── オムライスだけでなく、ファミスタの裏話も聞けて楽しかったです。最後に、今後のオム活の展望を教えていただけますか?

きっしい:当面の目標は、「世界一オムライスの情報が載っているホームページ」として、ギネス世界記録に認定されることです。

それから、ゆくゆくは日本のオムライスの魅力を世界に広げていきたいと思っています。

オムライスって日本生まれの洋食で、広い意味では日本料理です。日本料理というと、海外の人はお寿司や天ぷらをイメージされますが、そこにオムライスも加えられるように発信していきたい。

そうして、オムライスの国際化、さらにはユネスコ無形文化遺産にオムライスが登録されるよう頑張っていきたいですね。

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好奇心と探究心の塊だったきっしいさん。特に、これと決めたものに対しては徹底的に突き詰める求道者のようでもありました。

ただ、そこに気負いはなく、ただ純粋に好きでやっているだけ。だからこそ「25年、900店、1600皿」という偉大な境地に到達できたのだと思います。

自分にとって唯一無二の「好き」を見つけること。そして、とことん向き合うこと。それがいかに人生を楽しく豊かにするか、きっしいさんに改めて教わったような気がします。

 

※掲載している情報は2021年11月9日時点のものです

この記事を書いた人榎並紀行

1980年生まれ。ライター、編集者。編集プロダクション「やじろべえ」代表。アメリカで生まれたりしましたが英語は話せません。ぽっちゃりしています。

Twitter:@noriyukienami
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編集:はてな編集部

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